Jリーグは1992年に発足し、1993年にリーグ戦が開幕しました。当初はものめずらしさもあり、かなりの数の観客がスタジアムに向かい、Jリーグブームを生み出しました。Jリーグバブルのあと、Jリーグブームは一時落ち着きましたが、日本代表のワールドカップ出場もあり、Jリーグは次第に日本のプロサッカーリーグとして地域に馴染んでいきました。

 Jリーグ発足には多くの人が携わってきましたが、その中でも発足当時からよく登場している川渕チェアマン、現キャプテンはほとんどの人が知っていることと思います。彼は元日本代表選手でもあり、わずかですが日本代表の監督も務めました。川渕キャプテンが代表選手だった頃、日本初の外国人コーチとしてドイツ人のデットマール・クラマー氏が招集されました。まだ日本サッカーが低迷していた時代、クラマー氏は日本代表に本場ドイツの本物のサッカーを教え込み、日本代表の基礎を作りました。当時の日本代表には、川渕キャプテンをはじめ岡野元会長や釜本氏など、Jリーグ発足に携わった人が多く関わっています。そういった意味もあり、クラマー氏は「日本サッカーの父」と呼ばれています。

null
<東京にて日本のサッカーの父と>

 クラマー氏は1925年ドルトムント生まれ。日本代表は62年のローマオリンピックで本大会出場ができなかったため、64年の東京オリンピックに向けて、クラマー氏をサッカー日本代表の強化コーチとして召集さしました。川渕キャプテンや岡野元会長、日本最高のストライカー釜本氏などを育て上げ、60年代の東京オリンピックベスト8、メキシコオリンピック銅メダルに貢献。75年からはバイエルンミュンヘンを率いて、UEFAチャンピオンズカップで2連覇を達成。

 当時、彼は日本サッカーの発展のため、いくつかの助言をしました。
①国際試合の経験を多く積むこと。
②高校から日本代表まで、各チームに2人のコーチを置くこと。
③リーグ戦の開催。
④芝生のグランドを多く作る、などなど。
 と、このように日本サッカーの近代化や現在のJリーグの基盤となる部分に大きく影響しています。

 クラマー氏は、選手に印象のある言葉を与え選手を育てていくことでも有名で、言葉の魔術師としても知られています。最近では、現日本代表オシム監督の発言が本でよく紹介されていますが、そのオシム監督の本の中でもクラマー氏の言葉が取り上げられていました。彼の言葉をいくつか取り上げます。


「サッカーは人生の縮図である。すべてが人間の成長につながる。」

「本当に大切なことはゴールを決めることではなく、友情を結ぶことである。」

「日本代表は第2の釜本を探さなければならない。」

「真のストライカーを作り出すことはできない。それは天からの贈り物である。」

「物を見るのは魂であり、物を聞くのも魂である。眼そのものは盲目であり、耳そのものは本質が聞こえない。」

「タイムアップの笛は、次の試合へのキックオフである。」

「試合で勝った者には友達が集まってくる。本当に友達が必要なのは敗れた時であり敗れた者である。私は敗れた者を訪れよう。」