何だかやり場のないフラストレーションを感じた「ベルリン-東京 東京-ベルリン」展から約一ヶ月。
ワタクシ、thomas&partners広報YUKOはやや落ち着かない日々を過ごしております。
何故かというと・・・・・




(°口°;) !!



黄金の20年代の音楽で知られる、ドイツの国民的人気歌手マックス・ラーべのコンサートが今週日曜日の晩に控えているからなのです!!

マックス・ラーべ。彼のポスターを道端や駅で見かける度にとても切ない気持ちになります。
胸キュンです。
仕事の関係で実物を見たときは昔のハリウッド映画に出てくる女優のように失神するかと思いました。それくらい素晴らしいオーラを放っている人です。
私の記憶違いでなければ、彼は「チャーリーズ・タンテ」という映画にも出演していて、その映画のヴィデオを以前東京ゲーテの図書館でお借りして観たことがあったのですが、マックス・ラーべがニコリともせずにピアノを弾きながら歌っている姿が妙に印象的でした。

ちなみに今年の五月、マックス・ラーべ率いる楽団パラスト・オーケストラは日本初公演を行っています。詳しくはコチラ

来年に再来日を予定しているマックス・ラーべとパラスト・オーケストラですが、それまで待てないよ~という貴方の為、本日から三回に渡ってマックス・ラーべ特集をお送りいたします。

第一回:マックス・ラーべとパラスト・オーケストラのバイオグラフィー

来週にはコンサートのルポ、そしてラーべさんとのインタビュー(!)も次々とアップしていきたいと思いますので、どうぞお楽しみに!





マックス・ラーべとパラスト・オーケストラ
バイオグラフィー


タキシードをビシッと着こなし、髪型もオールバックできめて、小粋なまなざしで20代から30年代初期のベスト・ソングを歌うマックス・ラーべ。ヒット曲、クープレ、キューバ産ルンバ、陽気なフォックストロットと優美なタンゴ。呆れるほど真面目くさった歌を驚くほど軽快に。アイロニーたっぷりの歌詞は当時から80年が過ぎた今日でもなお通用する。ニューヨーク、上海、パリ、ベルリン、モスクワ、東京、ロス、ウィーン、アムステルダム、ローマの舞台で、マックス・ラーべとパラスト・オーケストラは観客席から沸き立った熱狂の嵐に包まれた。そんな彼らの成功の秘密とは?謎に迫ってみた。

1962年、ヴェストファーレン地方の小さな町リューネンに生まれたラーべは少年合唱団に所属し、音楽のもたらす奇跡を知った。小学三年生の頃、ワーグナーのオペラに感動し、ベートーヴェンの第九に文字通り圧倒された。「その瞬間から僕は歌手になることを心に決めた」その後、同地方の全寮制学校にて淡い音楽への初恋を確かな技術へと変えていったラーべは、ワーグナーとベートーヴェンの他に、あのワイルドな“黄金の”時代と謳われる二十年代音楽に興味を抱いた。中でも当時の有名人気グループ“コメディアン・ハーモニスト”に傾倒し、陽気なアップテンポのフォックストロットでありながら何処か哀愁もただよわせる彼らの曲“ヒルデに首ったけ”を両親のレコード・コレクションの中から発掘した喜びは並ならぬものであった。そんな彼の初舞台は地元のイヴェント・ホールで、ボーイスカウト・グループが集まる夕べの催し物にて寸劇と漫才を披露した。

ベルリンは憧れの都市のひとつだった。二十歳になったラーべはのどかなヴェストファーレン地方とカトリックの町パダボーンを去り、かねてからの夢を叶えるために上京した。声楽の個人授業を受け、評判の高い芸術大学でオペラを学んだラーべは、七年間にわたる学生生活を経済的に支えるため、芝生を刈り、薄暗い廊下の掃除をし、わずかな謝礼を受け取って人々の前で歌った。彼は元来そのしなやかなバリトンの声を武器にオペラ歌手になることを希望していたが、1986年、オペラ修行の資金調達に、無謀に見えて実は身近なところに転がっている、ひとつの道を見出したのである。それはすなわちパラスト・オーケストラの設立であり、20年代から30年代にかけてのヒット曲を人々に紹介することであった。だがこの時点で、上海、モスクワ、東京ととどまることを知らない世界レベルのアーティストになると誰が予測できたであろう?何はともあれ、彼らが最初に為すべきことは楽譜の入手であった。昔のヒット曲が好きな音楽学校の同志と共にラーべは図書館をくまなく探し、フリーマーケットとアンティーク・ショップを渡り歩いてレコードや映画を手に入れ、最終的に、それらを響きのよい重厚なオーケストラ・ヴァージョンに調整することでやっと使うことができた。レコードや映画で聴いたように、シンプルながらも細部までこだわった20年代サウンドを創り出すことが課題だった。“僕はベタなものが好きだ。たとえば遠い昔のトーキー映画に出てくるような世界がね。そんなものが実在しないことを知っていても、僕はそれを愛している。音楽にも同じことが言えるんだ。僕たちは人々に何かを伝えようとするが、それは過去を懐かしむことじゃない。甘美なファンタジーなんだ”一年間の準備期間を設けた彼らだが、それは長すぎるといってもいいくらいだろう。

1987年、ベルリンの劇場にてパラスト・オーケストラの初演が行われた。12人の楽士と、センセーショナルで、カリスマ的魅力を備えたのっぽの歌手らによる初舞台!彼らが演奏を行ったのは何の面白味もない劇場のロビーだったが、それでも人々はホールに流れることなくその場に居続けた。プログラムは二度も繰り返されるほどの大反響で、観客らはひたすら?家に帰ることを拒んだのである。

マックス・ラーべはそれでもまだベルリン規模のアーティストだった。彼の音楽は都会的で、国境に縛られることのない世界市民的な吸引力を身につけていたが、知名度がいま一つだった。そこで、国からも正式に認められたバリトン・オペラ歌手のラーべは自らペンを取り、今までの人生経験も何もかも全てを投入して、1992年、哀歌“Kein Schwein ruft mich an. Keine Sau interessiert sich fuer mich.(誰も電話を掛けちゃくれない。どいつもこいつも俺にはキョーミなし)”を書き上げたのである。これによってラーべは、遠距離通信を欠かすことのできない現代人の心情をおそろしいほど正確に表現したと言えるだろう。

当時のラーべはこのようなジョークをベルリンでのバラエティ・ショウ向けに書いており、黄金の二十年代サウンドを聴きに集まった観客に披露していた。“上品で趣味の良いバカバカしさでなければならない”とラーべは語る。“僕が頭に想い描くのは、エレガントに燕尾服をまとい、オーケストラを率いて舞台に立ちながら、〈Schwein(ブタ)〉やら〈Sau(野郎)〉なんて言葉を思いっきり力を込めて発する自分の姿だ”彼の策略は大成功を収め、公演依頼は立て続けに舞い込み、会場の規模も年々大きくなっていった。ラーべはまた芝居と映画への出演も依頼され、ゼンケ・ヴォルトマンスのヒット映画“Der bewergte Mann”ではパラスト・オーケストラごと出演している。TV映画の“チャーリーズ・アウント”、ヴェルナー・ヘルツォーク監督の“インビシブル”も同様である。1994年、ラーべはヒルデガルド・クネフと共に“ザッツ・イリテイディド・オイスター”のシングル収録を行い、3年後、ベルリンのヴァルトビューネ(劇場)にて二万人規模の“パラスト・オーケストラ・オン・ステージ”コンサートを行った。2000年には三文オペラで有名な作曲家カート・ウェイルへの賛辞を示し、アルバム「チャーミング・カート」の収録作業が行われ、大反響を呼んだ。ラトヴィアではパラスト・オーケストラの“スーパー・ヒッツ”がビートルズのNo. 1アルバムを追い越し、ウィーンのフェスティバル・ウィークで四万人の観客を動員した。

今日、パラスト・オーケストラのレパートリーは400曲以上にのぼるというが、“アイル・キス・ユア・ハンド・ディア・レディ”や永遠に大きくなることのないサボテン(“僕の小さな緑のサボテン”より)などの古典的なものから、オリジナル作品まで実に幅広い。2003年8月には美しい舞台美術とパラスト・バレエ、ヴィデオによる演出など手の込んだ“パラスト・レヴュー”がハンブルクのタレイア劇場にて行われ、dpa通信社に“輝かしい成功”と賞された。初日公演以来、30万人もの観客を動員し、その快挙はとどまるところを知らない。2004年春、やわらかく、ひとつひとつの言葉にアクセントをつけるドイツ人歌手マックス・ラーべは、ニューヨークでのコンサートでスタンディング・オベーションに包まれた。同都市にて二回行われたソロ・コンサートでは、熱心なファンが追加公演のチケットを入手しようとフィフス・アベニューに長蛇の列を作ったという。ラーベがあの有名なカルネジー・ホールへ招待されたのはそれから間もなくのことであった。

ここで最初の質問に戻ろう。つまり、彼の成功の秘密は一体どこにあるのか、ということである。音楽か、歌詞か、メロディーか?20年代を気どった華麗なる姿、音楽に含まれる真剣さか。自己を皮肉ったあの態度にあるのか。それとも彼自身の魅力や洗練とした身のこなし、スマートな登場の仕方が人々を惹きつけるのか。もしかしたら、彼が舞台をまるでひとつの人生のように考えているからなのだろうか。その答えは?秘密は明かされない。だけど、その秘密はとてもステキなものなのだ。


後記:

今回の文化ニュースはいかがでしたか?皆様のご意見・ご感想お待ちしております。
サッシャさんのご協力により実現しました、トーマス&パートナーズの文化ニュース、今後はベルリンのアーティスト、デザイナーとのインタビューなども行う予定です。ドイツファンの方のみならず、海外アーティストの活躍に目をつけている日本の企業の方々にも、きっと耳寄りな情報があるはず!どうぞお楽しみに!

トーマス&パートナーズとは?
ベルリンの若手法律家、ラファエル・トーマスにより創立されたベルリンを活動拠点とするコンサルティング会社。NHKからの委託で番組制作、通訳などを行うほか、最近では黄金の20年代音楽で知られるドイツの国民的人気歌手、マックス・ラーべの日本初公演をオーガナイズした。日独アーティストや企業の海外活動のマネージメントから、2006年W杯関連の仕事まで幅広く請け負う。

URL: http://www.thomas-japan-consult.com/

ドイツへの企業進出や公演活動などお考えの方、言葉や文化の壁に悩まずに、ぜひぜひ一度弊社HPをご覧ください。ご連絡・ご相談お待ちしております!